今朝。
今日はまたつまらないただの曇り空。ただ、これでもかすかに薄日が差してるから不思議。雲がそこまで厚くないんだろうな。
今朝もヒンヤリだなと思ったら、PCの画面に表示された気温は19℃。今日の最高気温予想は27℃なんだけど明日は22℃だって。しかもこの最高気温は夜中の2時に出てその後はずっと21℃とか20℃とかになってる。これはまたヤバいなあ。今日との気温差もキツイし、しかも雨で気圧も低いんだろうなあ。
Amorphophallus konjac。
これなんだかわかりますか?
なんと、コンニャクの学名だそう。そして日本語のコンニャクはこの Konjac から来てるんだと。英語の発音は、カタカナで書くと「カンジャック」(アメリカ英語:/ˈkɑːn.dʒæk/)または「コンジャック」(イギリス英語:/ˈkɒn.dʒæk/)だって。
で、実は一昨日、以前にもふママさんのブログで話題になったコンニャクゼリーが、うちのキッチンの納戸にもあるのを見つけた。

ママに聞いたら時々買ってるらしい。なんだ、うちにもあったんだと思って早速袋を開けてみた。
袋の中にはこんなのが10個入ってる。1個25g。左が表で右が裏。


この表の蓋と言うかシールを剥がして食べる。普通のゼリーだったらそのままツルんと出て来るんだけど、これはそう簡単じゃなかった。確かにもふママさんが書かれてた通り、硬くてまるでこんにゃく。まあコンニャクゼリーっていうんだからそれで間違いじゃないんだけどねw。
これは小さい子供や高齢者は気をつけないと危ないな、と、高齢者が実感しましたとさw。
記事のタイトルもだんだん過激になってきた。
これは激しく納得できる記事。
この記事、こういう出だしで始まっている。
首相就任8カ月ですでに政権末期の様相
最近の高市首相の言動を見ていると、政治家に必要な資質に欠けていると思わざるを得ない。
「政治の本質的な資質は三つある。情熱、責任感、そして見識(判断力)」
そういったのは『職業としての政治』の著者マックス・ウェーバーである。
高市首相はかつてバンドを組んでドラムを叩いていたそうだ。今でもむしゃくしゃする時は自宅の防音装置のある部屋でドラムを思い切り叩いて発散するというから、情熱は持ち合わせているようだ。
しかし、自分の口から出た言葉への責任感や、それがどんな意味を持つのかという判断力が著しく欠如しているように思える。
もう一つ加えれば、高市首相には「国民の声を聞く」という、政治家ならば最低限の資質さえ持ち合わせていないように思えてならない。
政権が発足してから8カ月が経った。初の女性首相誕生に沸き、衆院選では多くの有権者が高市自民党に投票した。だが、その熱気は蜃気楼のごとく消え去り、気がつけば政権末期の様相を呈している。
それもこれも身勝手に振る舞い、熟議もせず、先の見通しもないままに独断専行してきたからである。
そしてこれ、この記事の最後に書いてあること。
首相がやるべきは「身を引くこと」
高市首相が自分の「レガシー」を残したいというのであれば、選挙中のSNS活用について、早急に基本方針を作り、便所の落書きのような誹謗中傷合戦にならないようにする法案を成立させ、それを「レガシー」にして辞任すればいいのではないか。
さらに、政治資金規正法の不記載・虚偽記載で高市首相と会計責任者の木下剛志氏の2人が奈良地検に刑事告発されたといわれる。告発したのは神戸学院大学の上脇博之教授。
高市首相は“ガラスの天井”を打ち破って初の女性首相に就いたのだから、そのレガシーが泥まみれにならないうちに、身を引くことを進言したい。
ちなみに、儂はここに書いてある刑事告発は受理されないと思う。万々が一受理されたとしても、起訴される確率は、サマージャンボ宝くじで1等が当る確率よりも低いだろうw。何しろ今の日本の検察はほとんど息してないからな。
あと、高市のことでもう一つ書こうと思ってたことがあるんだけど、長くなりそうなのでまたあらためて書こうと思う。
しおちゃん。
(昨日の日記の続き)
ずっとシェルターの中で寝てた。
夜8時頃、気づいたらシェルターから上半身出て来てて起きてた。スロープを入れたんだけど反応せず。でも、スロープの上をジッと見ててなんとなく出てきそうな感じはあった。
それから時々見てたんだけどなかなか動かず。でも、20分ほど経った頃、見たらスロープの半分くらいまで登って来てた。
スロープごと別荘に移動して下に降ろした。ずぐに奥に向かって歩いて行った。少しして見たら本の山の横にパネルヒーターの上にいた。
その後、水入れの水を替えに行ったら本の山とCDラックの間にいた。
10時頃覗いたら、えびへーのケージの前に💩があった。この子はシェルターから上半身出して起きてた。
11時頃覗いたら、外をウロウロ。箱シェルターの上に上ったりえびへーのケージの方までやってきたりしてた。もしかしてケージに帰りたいのかなと思ったので手を出してみたんだけど、指先をペロっとして後ずさり。うーん、やっぱりそう言う訳でもないのかなあ。ママに、「もしこの後ケージに帰りたそうだったら返してあげて」と言って儂は寝た。
(今朝起きて来たら)
結局夕べは別荘にお泊り。別荘を覗いたら本の山の上でうつらうつらな感じだったので、手に乗せてケージに戻した。ケージに入れたら中を一通りウロウロ。
少しして見たら箱シェルターの中にいた。でもすぐに出て来てそのままシェルターの入って寝始めた。
30分ほどして見たらシェルターからいなくなってた。箱シェルターを覗いたら奥の方に胴体?尻尾?が見えた。多分寝てた。一昨日、昨日と、ケージに戻してからおとなしく寝るまでの時間がだんだん短くなってるかな。
ぼあちゃん。
2021年の今日。





皇室のこと。
なにが伝統だっつーのwwwww。
儂、今の皇室典範を変えようとしている人達があまりにも伝統伝統と言うので、昨日Googleくんにこんなことを聞いてみた。
大日本帝国下の旧皇室典範は養子は禁じられていたのでしょうか?
そうしたらこういうことみたい。
旧皇室典範(明治22年制定)では、養子は完全に禁止されていました。
根拠となる条文
旧皇室典範の第42条に、以下の通り明確に規定されています。
旧皇室典範 第42条
「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」
禁止されていた理由
- 血統の純粋性を守るため:皇位継承は「男系男子」の血統のみに限るという原則(第1条)を厳格に維持するためです。
- 皇位継承順位の混乱を防ぐため:養子を認めると、本来の血統とは異なる人物が皇位継承権を持つことになり、順位や秩序が乱れる恐れがあったためです。
現行(現在の)皇室典範との比較
1947年(昭和22年)に制定された現行の皇室典範でも、第9条で「皇族は、養子をすることができない」と規定されており、この方針は現在も引き継がれています。
もし旧皇室典範についてさらに詳しく知りたい場合は、以下の点もお答えできます。
- 養子が禁止された歴史的な議論や背景
- 皇族の数が減った場合の当時の対策(宮家について)
- 旧皇室典範と現行皇室典範の主な違い
どのような点に興味があるか、ぜひ教えてください。
でね、この3つ全部教えてもらった。
旧皇室典範における養子禁止の背景、当時の皇族減少対策、そして現行典範との違いについて、それぞれ詳しく解説します。
1. 養子が禁止された歴史的背景と議論
明治時代に旧皇室典範を起草する際、伊藤博文や井上毅らは「万世一系」という思想を法的に厳格化しようとしました。
- 歴史的慣例(親王任国など)の否定:江戸時代までは、皇位継承権を持つ「世襲親王家」が途絶えそうになると、他の宮家や天皇の皇子から養子(持明院統・大覚寺統の猶子など)を迎えることが広く行われていました(光格天皇の例など)。
- 欧州君主制の導入:明治の起草者たちは、日本の伝統に加えてプロイセン(ドイツ)などヨーロッパの王位継承法を研究しました。キリスト教国の一系継承の厳格さを参考に、血統の純粋性を守るため「法律上の親子関係(養子)」による継承権の移動を完全に遮断することに決めました。
- 皇位を巡る争いの予防:養子を認めると、時の権力者や皇族の意向によって意図的に皇位継承順位を操作できるようになってしまいます。これを防ぎ、すべてを「自然の血縁(直系優先・年長者優先)」によって自動的に決める仕組みを作りました。
2. 当時の皇族減少対策(宮家について)
養子を禁止すると、男系男子が生まれなかった宮家は一代で絶える(家名が消滅する)ことになります。旧皇室典範では、皇族全体の数を維持し、皇位継承者を確保するために以下の仕組みを設けました。
- 「永世皇族制」の採用:旧皇室典範では、天皇からどれだけ世代が離れても、男系の男子(王)であれば原則として全員が皇族の身分のままとされました(第31条)。
- 多数の宮家の並立:明治以降、伏見宮家などの「旧四親王家」に加えて、多くの新宮家(東久邇宮、北白川宮、竹田宮、朝香宮など)が新設されました。
- 宮家消滅時の財産措置:もしある宮家に男子が生まれずその宮家が絶えても、別の宮家から養子を入れることはできません。その代わり、その宮家の財産は皇室全体に返還されるか、または国庫(皇室財産)に組み戻され、必要に応じて新たな宮家を作る原資とされました。
3. 旧皇室典範と現行皇室典範の主な違い
1947年(昭和22年)に制定された現行の皇室典範は、日本国憲法の下で多くの点が変更されましたが、「養子の禁止」など一部の核心部分は維持されています。
比較項目
旧皇室典範(明治22年)
現行皇室典範(昭和22年)
養子の可否
禁止(第42条「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」)
禁止(第9条「皇族は、養子をすることができない。」)
皇位継承権
男系男子のみ(第1条)
男系男子のみ(第1条)
庶子(側室の子)
皇位継承権を認める(当時は側室制度が存在したため、大正天皇は明治天皇の庶子にあたります)
非嫡出子(側室等の子)の継承権を排除(一夫一婦制の徹底)
皇族の範囲(臣籍降下)
原則として永世皇族(事情により臣籍降下も可能だが制限あり)
天皇・皇族から5世代以降の遠い皇族(王)は、原則として一般国民になる(第11条〜13条)
皇族女子の結婚
皇族または特に認可された華族(貴族)とのみ結婚可能
一般国民と結婚可能(ただし、結婚後は皇族の身分を離れる)
法的な位置づけ
憲法と同等の効力を持つ独立した「宮廷法」(議会の関与を受けない)
憲法の下位にある「法律」の一つ(国会で改正が可能)
でね、これを読んで一番引っかかったのは「伊藤博文や井上毅らは『万世一系』という思想を法的に厳格化しようとして養子を禁止した」ということなんだ。
だって、政府ってしきりに「万世一系を守る」みたいないこと言ってない? でもこれを読む限り「万世一系を守る」ために養子を禁止したっていうことみたいなんだよね。
で、以下のように会話が続いたわけ。
Q.
つまり今の案だと万世一系が崩れると言うことではないのですか? もっと言えば、伝統だと言っていますが、今の政府の案は自分達に都合のいいところだけを伝統だと言ってるように思えるのですが。
A.
ご指摘の通り、伊藤博文や井上毅らが旧皇室典範を起草した際の「法律上の親子関係(養子)による継承権の移動を完全に排除する」という極めて厳格な思想に照らし合わせれば、「現在の政府の有識者案は、近代に定義された厳格なルールを自ら破ろうとしている」という解釈(万世一系が崩れる、あるいは一貫性を欠くという見方)が成り立つのは確かです。
一方で、政府側や賛成派がこれを「伝統」と呼ぶ背景には、明治時代よりもさらに古い「皇室全体の歴史」を根拠にしているという側面もあります。
なぜこのような矛盾や「都合のいい解釈」に見える現象が起きているのか、その核心的な理由を2つの視点から整理します。
1. 明治のルール(近代)vs 皇室全体の歴史(古代〜江戸)
現在の議論が噛み合わない最大の原因は、「どの時代の『伝統』を正統とするか」という基準が人によって異なる点にあります。
- 明治の思想(旧皇室典範)を重視する視点
ご指摘の通り、明治の起草者たちは「養子によって継承権を動かすこと自体が皇位の正統性を汚す」と考えました。このルールを「現代の皇室の基盤」とみなすならば、一般国民から男系男子を養子に迎える案は、明治の賢者たちが必死に防ごうとした「順位の混乱や作為的な継承」そのものであり、伝統の変質(崩壊)であるという批判は極めて強力です。- 明治以前の歴史を重視する視点(政府・賛成派の拠り所)
一方で政府などが主張する根拠は、明治より前の「古代から江戸時代までの歴史」です。日本の歴史上、男系(父親の血統)さえつながっていれば、どれだけ遠い親族であっても(例:26代継体天皇は前任の天皇から5親等以上離れた越前国の地方豪族のような存在でした)、あるいは他家からの猶子(養子の一種)であっても、男系男子であれば「万世一系」として認められてきた事実があります。彼らは「明治の作った『養子禁止』という細かい法律の条文」よりも、「形はどうあれ、2000年間一度も男系の血筋が途絶えなかったという大原則」こそが守るべき伝統であると解釈しています。2. 「都合のいい解釈」と言われる背景にある現実問題
おっしゃるように、「自分たちに都合のいいところだけを伝統と呼んでいる」という批判は、国会や論壇でも非常に多く投げかけられています。その背景には、以下のような「現実的な妥協」があります。
- 側室がないという致命的な変化
明治のシステムは「永世皇族(どれだけ離れても皇族)」+「側室制度(多くの子供を残す)」という2つの柱があって初めて「養子禁止」が成立していました。しかし現代は側室が認められない一夫一婦制です。明治のルール(養子禁止)をそのまま守り続けると、現在の皇位継承資格者が秋篠宮さまと悠仁さま、常陸宮さまの3方しかいない現代では、皇室そのものが近いうちに消滅してしまうという物理的な危機があります。- もう一つの伝統(直系重視)との衝突
もし「明治の養子禁止」を守るために、天皇の直系である愛子内親王への継承(女性天皇)を認めようとすると、今度は「男系男子(父親の家系)」という、もう一つの最古の伝統を破ることになります。結論として
政府の案(養子縁組案)は、「明治の厳格な法律(養子禁止)」を破ってでも、「古代からの大原則(男系男子)」を維持しようとする、歴史のツギハギ(妥協案)と言えます。
そのため、
- 「明治の起草者の精神に反するのだから、万世一系の純粋性は崩れる。ご都合主義だ」という批判(反対派)
- 「条文の形式よりも、男系の血をつなぐという大前提を守るための現実的な手段だ」という主張(賛成派)
の双方が、それぞれの「伝統」を盾にして対立しているのが現在の状況です。
この後も会話が続いたんだけど、長くなるのでカット。でも、↑ にある、
どの時代の「伝統」を正統とするか
って、凄くないですか?w
これって、つまり今言ってる伝統なんて所詮は時代に合わせて変わってきてるということでしょ? いや、儂はこれでいいと思ってるんだけどねw。
Googleくんに聞いたら、江戸時代よりも前には養子制度ってあったんだって。だから、養子制度はやっぱり伝統と言えるんだと思う。ただ、それが禁止されたのは明治以降なので、昔の養子制度では、今言われているような何十年も前に皇族ではなくなった家から養子を迎えることはなかったということ。
昔の皇室において、「一度一般国民(民間人)として何代も過ごした遠い血筋の家系から養子を迎える」という、まさに今議論されているような形での養子縁組が行われた歴史はありません。
現代の議論と昔の歴史には、背景や前提に以下のような決定的な違いがあります。
1. 昔の養子は「現役の皇族同士」が基本
江戸時代以前に養子(または猶子)となったのは、すべて「生まれた時から皇族の身分(宮家)にある男系の男子」でした。
一般国民として何代も生活し、すでに民間人として定着している人を、後から「皇族」として養子に迎え入れた事例はありません。
2. 「血の離れ方」のレベルが違う
現代の養子案で対象となっている「旧宮家(旧11宮家など)」と現在の天皇家は、共通の男系の祖先をたどると、室町時代の「崇光天皇(または伏見宮貞成親王)」まで約600年もさかのぼる必要があります。
一方で、江戸時代以前に行われていた養子縁組は、もっと血筋が近い範囲で行われていました。
- 閑院宮家から即位した光格天皇の例:共通の祖先(東山天皇)まで、わずか3代(約100年以内)しか離れていませんでした。
- 過去の歴史全体を見ても、最も遠い血筋から皇位を継承したケース(継体天皇など特殊な例を除く)でさえ、さかのぼって約200年(4~5代程度)の範囲に収まっています。
3. なぜ当時は「600年離れた家からの養子」が起きなかったのか?
当時は、天皇家との血筋が近いいくつかの宮家(世襲親王家)が常に「現役の皇族」として存在し、バックアップ機能を果たしていたためです。
もし、ある宮家で跡継ぎが途絶えそうになれば、まだ血筋が近い別の宮家から現役の皇族を養子に迎えて家を存続させていました。そのため、わざわざ「何百年も前に分かれた、民間人になっている遠い親戚」を頼る必要性がそもそもありませんでした。
結論として
現在の「旧宮家からの養子案」は、「歴史上の伝統的な養子のやり方を復活させる」というよりは、皇室史上でも前例のない「新しい試み」と言えます。
だからこそ、現在の政治や有識者の間でも、
- 「男系の血統を維持するための唯一の方法だ」という意見
- 「600年も離れた民間人を皇族にするのは、歴史的先例がなく国民の理解を得るのが難しい」という慎重論
の2つに分かれて激しく議論されているのが現状です。
現在の「旧宮家からの養子案」は、「歴史上の伝統的な養子のやり方を復活させる」というよりは、皇室史上でも前例のない「新しい試み」
だって。
どうせ新しい試みなんだから、だったら、愛子様を次の天皇にして女系天皇ありでも同じじゃん。
もう1度書くけど、なにが伝統だっつーのwwwww。
みんなカッコよくてかわいい。
至近距離な #ボブキャット #ソラ ちゃん😺
— 王子動物園市民サミット (@ojizoosummit) 2026年5月20日
笑ってるように見えます😺✨
しっぽをフリフリ、足がクリームパン🫓みたいで可愛いなぁ😺💕#王子動物園 #王子動物園市民サミット pic.twitter.com/RXzoXKETox
どうすればギャラリーが喜ぶかわかってそうなモモ太(まだ生後5カ月😅)
— kj6612 (@kj66122) 2026年5月20日
2026.5.13#ホッキョクグマ #シロクマ #モモ #男鹿水族館GAO #モモ太 pic.twitter.com/tStsqnkMbn
\ ツキちゃんが証明写真のお手本を見せてあげましゅ! / pic.twitter.com/Wdts9Wq2p5
— まゆ (@mayu0000228) 2026年5月20日
ベランダに出たらちょっとヒンヤリしてた。PCの画面に表示された気温は19℃。やっぱりね。最高気温予想は25℃だけど、昼前にベランダに出た時もわりとヒンヤリだった。午前中は北西の風がだったみたいだから、そのせいもあるのかな?



























ウェザーニュースの予報だと12時から明日の朝5時までずっと雨マーク。その後はほぼすべて雲マーク。やっぱり梅雨だな。












